| 事件番号 | 令和3年(行ヒ)第285号 |
|---|---|
| 裁判所 | 最高裁判所第三小法廷 |
| 判決日 | 2023-07-11 |
| 通称 | 経産省トイレ訴訟 |
| 出典 | 裁判所ウェブサイトの判決文 |
3行でわかる判決
- 性同一性障害の診断を受けている経済産業省の職員が、執務室のある階とその上下の階の女性トイレを使えないとされ、この扱いを改めるよう人事院に求めたものの退けられたため、その判定の取消しを求めました。
- 最高裁は、この事案の事情の下では、要求を認めなかった人事院の判定は裁量権の範囲を逸脱し又は濫用したもので違法だと判断しました。
- あくまで個別の職場での事情を踏まえた判断であり、不特定多数の人が使う公共施設のトイレについて述べたものではないことが、補足意見で明記されています。
何があったのか
訴えを起こしたのは、経済産業省に勤める一般職の国家公務員です。生物学的な性別は男性ですが、幼少の頃から強い違和感を抱いており、平成10年頃から女性ホルモンの投与を受け、平成11年頃に性同一性障害との医師の診断を受けました。平成20年頃からは私生活を女性として送っています。健康上の理由から、性別適合手術は受けていません。また、性衝動に基づく性暴力の可能性は低いとする医師の診断も受けていました。
職員は平成21年7月に上司へ性同一性障害について伝え、同年10月には、女性の服装での勤務や女性トイレの使用について要望しました。これを受けて平成22年7月14日、本人の了承のもと、同じ部署の職員に向けた説明会が開かれます。
説明会で担当職員が意見を求めたところ、執務室のある階の女性トイレを職員が使うことについて、数名の女性職員が違和感を抱いているように見えました。一つ上の階については、女性職員1名が、日常的にそのトイレも使っていると述べました。
こうしたやり取りを踏まえ、経済産業省は、執務室のある階とその上下の階の女性トイレは使用を認めず、それ以外の階の女性トイレは認めるという扱いを決めました。職員は説明会の翌週から女性の服装で勤務し、主に2階離れた階の女性トイレを使うようになりましたが、他の職員との間でトラブルが起きたことはありませんでした。
職員は平成25年12月27日付けで、国家公務員法86条に基づき、職場の女性トイレを自由に使わせることなどを人事院に求めました。国家公務員が勤務条件について人事院に改善を求めることができる、行政措置要求という制度です。人事院は平成27年5月29日付けで、いずれの要求も認められないと判定しました。
何が争われたのか
争点は、トイレの使用に関する要求を退けた人事院の判定が違法かどうかです。
この種の判定は、人事行政の実情に即した専門的な判断が必要になるため、人事院の裁量に委ねられています。そのため裁判所は、判定が妥当かどうかを一から判断し直すのではなく、裁量権の範囲を逸脱したり濫用したりしていないかという観点から審査します。
報道によれば、1審の東京地裁は2019年12月に判定を違法と認めていました。これに対し2審の東京高裁は、経済産業省の扱いは職員全体にとって適切な職場環境をつくる責任を果たすための対応だったとして、判定は違法ではないと判断しました。地裁と高裁で結論が分かれたまま、最高裁の判断を仰ぐことになったわけです。
裁判所はどう判断したか
最高裁は、裁判官5人の全員一致で、高裁の判断を覆しました。
まず職員の側の事情について、自認する性別と異なる男性用トイレを使うか、執務室から離れた階の女性トイレなどを使うしかなく、「日常的に相応の不利益を受けている」と評価しました。
次に、その不利益を受け入れさせるだけの事情があったのかを、具体的に検討しています。最高裁が挙げたのは次のような点です。
- 職員は女性ホルモンの投与を受けており、性暴力の可能性は低いとの医師の診断もあった
- 離れた階の女性トイレを使うようになってから、トラブルは生じていない
- 説明会では、数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱えた職員がいたことはうかがわれない
- 説明会から判定までの約4年10か月の間、特に配慮が必要な職員がいるかどうかの調査が改めて行われたことも、扱いの見直しが検討されたこともうかがわれない
これらを踏まえ、最高裁は、遅くとも判定の時点では「トラブルが生ずることは想定し難く」、配慮すべき他の職員の存在も確認されていなかったと述べました。そのうえで人事院の判断について、次のように指摘しています。
他の職員に対する配慮を過度に重視し、上告人の不利益を不当に軽視するもの
結論として、トイレの使用に関する部分の判定は著しく妥当性を欠き、違法だとされました。高裁判決のうちこの部分は破棄され、判定の取消しを認めた1審判決の結論が維持されています。差戻しではなく、最高裁自身が結論を出した形です。
なお、この訴訟ではトイレ以外の点や国家賠償も争われていましたが、それらについての上告は、申立ての理由が受理の段階で除かれたため棄却されており、最高裁は中身についての判断を示していません。最高裁が判断を示したのは、トイレの使用に関する判定の部分に限られます。
この判決の意味
この判決は、一般的なルールを打ち立てたものではなく、この事案の事情の下での判断を示した事例です。それでも、読み取れる考え方があります。
ひとつは、他の職員への配慮を理由に特定の人へ制約を課すなら、その必要性を具体的な事情に基づいて確かめることが求められるという点です。この事案では、違和感を抱いているように見えたという担当職員の受け止めが出発点になり、その後に確認し直されることのないまま、制限が長く続いていました。
もうひとつは、時間の経過です。補足意見の中には、説明会直後の時点で一定の制限を設けたことには、急な変化による混乱を避ける措置として合理性があったと考える余地を認めるものがあります。問題とされたのは、その後4年を超える期間、状況を調べ直すことも見直すこともなかった点でした。
この判決には5人の裁判官全員が補足意見を付けています。その中では、同じトイレを使う他の職員の理解を得ないまま無条件に使用を認めるという合意が社会にあるとはいえないこと、職場の規模や施設の構造などによって事情はさまざまで、一律の解決策にはなじまないことにも触れられています。
また、裁判長の補足意見は、この判決が不特定または多数の人の使用が想定される公共施設の使い方について触れるものではないと明記しています。顔の見える同僚どうしの職場で、長年にわたりトラブルが無かったという事実を前提にした判断であり、公衆トイレなどにそのまま当てはまるものとして読むことはできません。
なお、この判断は判決当時の国家公務員法に基づくものです。
その後・実務への影響
報道によれば、判決後、人事院は2024年10月29日付けで改めて判定を出し、制限を続けていた経済産業省の対応を不当としました。これを受けて経済産業省は同年11月8日、庁舎内のすべての女性トイレの使用を認めると職員に伝えたとされています。最高裁の判決から1年余りが経っていました。
補足意見は、今後こうした事例が社会のさまざまな場面で生じることを予想し、事案の積み重ねを通じて標準的な扱いや指針が形作られていくことへの期待を述べています。
本記事は判決文をもとにした解説であり、法律相談に代わるものではありません。個別の事案については弁護士にご相談ください。