| 事件番号 | 令和5年(受)第1838号 |
|---|---|
| 裁判所 | 最高裁判所第三小法廷 |
| 判決日 | 2025-07-04 |
| 出典 | 裁判所ウェブサイトの判決文 |
3行でわかる判決
- 駐車場の路面の陥没でけがをした人が、駐車場側に賠償を求めた事案で、先に受け取っていた人身傷害保険金の扱いが争われました
- 最高裁は、事故前からの持病を理由に賠償額を減らす場合、その保険金は減らした後の損害を埋めるものだと判断しました
- その結果、保険会社が引き継ぐ賠償請求権の範囲は広くなり、被害者の手元に残る額は少なくなります
何があったのか
平成30年5月、ある人が普通乗用自動車を運転して駐車場に進入したところ、路面の陥没に右前輪が入り込み、その衝撃で腰椎椎間板ヘルニアなどの傷害を負いました。この陥没は駐車場の設置または保存の瑕疵にあたるとされ、被害者は駐車場を所有・管理していた会社に対して、工作物責任に基づく損害賠償を求めました。
事案には二つの減額要素がありました。一つは被害者側の過失です。陥没の発見が遅れた点に過失があるとされ、過失割合は2割と認定されました。もう一つは、事故前から被害者の体にあった持病です。第5腰椎と第1仙椎の間の椎間板に変性が生じており、椎間板ヘルニアはこの変性に事故による外力が加わって生じたものだと認定されています。こうした被害者側の体質や持病を考慮して賠償額を減らす扱いは、素因減額と呼ばれます。
金銭の流れも押さえておきます。事故によって生じた人的損害の額は、弁護士費用相当額を除いて合計941万2961円でした。被害者は平成31年2月に駐車場側から80万円の支払を受けています。さらに、運転していた自動車の登録使用者が契約していた自動車保険の人身傷害条項に基づき、令和2年1月までに保険会社から666万3789円の人身傷害保険金を受け取りました。
この保険の約款には、被保険者がけがをした時点で既にあった身体の障害または疾病の影響でけがが重くなった場合、保険会社はその影響がなかったときに相当する金額を支払う、という定めが置かれていました。本件の椎間板の変性は、この定めにいう既存の身体の障害または疾病にあたります。ただし保険会社は、実際にはこの定めによる減額をしないまま保険金を支払っていました。
損害額を順に計算していくと、941万2961円から素因減額として3割を引いた額が658万9073円、そこからさらに2割の過失相殺をした額が527万1258円、そこから既に受け取っていた80万円を差し引いた残額が447万1258円になります。この447万1258円をめぐる争いです。
何が争われたのか
保険会社が被害者に保険金を支払うと、その支払によって埋められた損害の分だけ、被害者が加害者に対して持っている損害賠償請求権が保険会社に移ります。これを請求権代位といいます。どこまでが保険会社に移るかによって、被害者が加害者側からさらに受け取れる額が変わります。
原審の仙台高裁は、保険会社は支払った保険金の額と素因減額をした後の損害額のうち少ない方を限度に賠償請求権を代位取得するとしました。この計算だと残額447万1258円はすべて保険会社に移るため、被害者の請求は認められない、という結論になります。
被害者側はこれに反論しました。保険会社は約款の減額の定めを使わずに保険金を全額支払ったのだから、その保険金は素因減額をする前の損害額を埋めるものと見るべきだ、というのが主張の中身です。そう考えれば、保険会社に移るのは、保険金の額と素因減額後の損害額の合計が素因減額前の損害額を上回った部分に限られ、被害者の手元に残る分が生まれます。被害者側は、過失相殺がされる場合について保険会社の代位の範囲を示した平成24年2月20日の最高裁判決を引き、素因減額もこれと同じように扱うべきだと述べました。
裁判所はどう判断したか
最高裁はまず、保険会社がどの範囲で賠償請求権を代位取得するかは約款の定めによって決まる、という枠組みを確認しました。先例として引かれたのが、被害者側が引用したのと同じ平成24年2月20日の最高裁判決です。
そのうえで、この約款に置かれた減額の定めの意味を読み解いています。この定めは、既存の障害や疾病の影響で被害が重くなった部分を保険による損害の穴埋めの対象から外す趣旨を明らかにしたものだ、と最高裁は解しました。そうであれば、支払われた人身傷害保険金は
上記疾患による影響に係る部分を除いた損害を填補するもの
と解すべきことになります。持病の影響分は、そもそも保険が埋めようとしていた損害に入っていない、という理解です。
この理解から、代位の範囲についての結論が導かれます。最高裁は、保険会社は
支払った人身傷害保険金の額と上記の減額をした後の損害額のうちいずれか少ない額を限度として
被害者の加害者に対する損害賠償請求権を代位取得する、と述べました。そして、この結論は保険会社が実際に約款の減額の定めを使ったかどうかによって左右されない、という点まで明示しています。減額せずに満額を支払ったという事情は、結論を動かしませんでした。
原審の判断はこれと同じ考え方に立つものとして是認され、上告は棄却されました。裁判官全員一致の意見で、林道晴裁判官の補足意見が付いています。
補足意見は、素因減額と過失相殺の違いを説明しています。素因減額は、加害行為と被害者の持病が共に原因となった場合の
損害額の発生そのものに係る局面の問題であり
発生した損害額について公平な分担のための調整を図る過失相殺とは局面が異なる、というのがその内容です。素因減額は民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用して行われますが、条文の借り方が同じでも、扱いまで同じにはならない、という整理になります。
この判決の意味
人身傷害保険は、相手との示談を待たずに自分の保険から補償を受けられる仕組みです。過失相殺がされる場面では、先例によって被害者側に手厚い扱いが認められてきました。今回争われたのは、その扱いが素因減額の場面にも及ぶのか、という点でした。
最高裁の答えは、及ばない、というものです。決め手になったのは、約款に置かれた減額の定めでした。持病の影響分を補償の対象から外すと書いてある以上、支払われた保険金はその分を含まない損害を埋めたものと見る。だから、素因減額をした後の損害額まで保険会社が引き継ぐ、という筋道です。
この論点について最高裁が判断を示したのは今回が初めてだ、と法律実務の解説では紹介されています。持病や既往症がある人が事故に遭い、それを理由に賠償額が減らされる事案では、人身傷害保険金を受け取った後に加害者側へ請求できる分が、これまで一部で考えられていたよりも小さくなる可能性があります。
読み違えたくないのは、最高裁が保険金の額そのものを減らしたわけではない、という点です。被害者が受け取った666万3789円が失われるわけではありません。争われたのは、それに加えて加害者側からいくら取れるか、という部分でした。
その後・実務への影響
この判決は民集第79巻5号2155頁に登載されています。
判断の出発点が約款の文言に置かれている点は、押さえておく意味があります。最高裁は、代位の範囲は約款の定めるところによると述べたうえで、この約款に減額の定めがあることを理由に結論を導きました。約款の書きぶりが違えば、同じ論法がそのまま当てはまるとは限りません。同じような事情に直面したときは、加入している保険の約款にどのような定めがあるかが、実際の取り分を左右する要素になります。
本記事は判決文をもとにした解説であり、法律相談に代わるものではありません。個別の事案については弁護士にご相談ください。